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ny-journal 暮らしのエッセイ
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| ニューヨーク暮らしのエッセイ | |
| 小林恵 | |
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セントラルーパークの地図(向かって左手が北、右手が東) |
| セントラルパークを歩くのは私の日課の一つになっています。アパートから西72丁目のパークの入り口まで3分の近さです。ビルの谷間に住み、何時も「やらなければ!」と思っている都会病患者にとって、特にワークホリックの私にとってパークは1年じゅうのオアシスであり,ニューヨーカーの暮しの宝石箱なのです。 |
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| 鳥の声、せせらぎの音、楽しそうな子供たちの声をきき、見上げる大木やしたたる緑の中を走っていると心が和んでいくのがわかります。人間が自然に守られている喜び、ニューヨークに住んでいる喜び、そしてお金では買うことの出来ない喜びを実感するひとときです。周りには摩天楼がそびえています。自然と人間の調和、150年前に作った人たちのことを思うとき、人間の叡智につくづく感動せずにはいられません。 |
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| セントラルパークは賞金$2,000のデザインコンテストに優勝した二人の造園デザイナー(フェデリックL.オルムステッド〈アメリカ人〉カルバート ヴォ‐(イギリス移民)が 1857年から16年の歳月をかけて完成したアメリカで作られた最初のパークなのです。当時普通の人の日当が25セント、技術を持っている人は1ドル。1セントで食べることができる”ペニー レストラン”があったという当時、彼らの年俸が2千ドルだったといいますから1.600万ドルという莫大な工事費を含めてそれを支払ったニューヨーク市のアイデアの大きさにも驚かされます。 |
| ▼ベセスダ噴水の今と昔 | ||
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噴水の下で涼む人、くつろぐ人たち
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右手奥に見えるのが噴水
「セントラルパーク テラス」1872年 C.Rosenberg |
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| ▼ボーブリッジの今と昔 | ||
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初夏のボーブリッジ
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中央奥がボーブリッジ
「セントラルパークウインター」リトグラフ:1862年 Currier&Ives(リトグラファー) |
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| 南北は59丁目から110丁目まで、東西は5番街とセントラルパークウエストまでの面積です。(注:873エーカー、1エーカー=約1.300坪)散歩道、乗馬道、ドライブウエイ、世界中から集めた26.000本の樹木、丘、池、貯水池、野球場、テニス、クリケットなどのプレイグランドの他、世界で最初に作られた立体交差の橋が11もあります。そのほか鬱蒼とした渓谷まであるのです。自然の地形を利用したのでなく、岩や石を取り除き、漠大な量の土をニュージャージーやロングアイランドから馬車で運んできた大掛かりな構想でした。当時からガス管(今は電気)、水道管などはすべて地下に埋められています。シエクスピア野外劇場や、10万人以上集まるシープメドー芝生ではメトロポリタン・オペラやポピュラーコンサートが毎年無料で開かれます。 |
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ジョン レノンファンのメッカになっているストローベリーパークはオノ ヨーコの寄付金で修復されましたが、工事中は「ヨ-コよ。パークを私物化するな!」とプラカードを立て座りこみ抗議をしていた若者もいましたが、今は市民やツーリストの大好きな憩いの場所です。 |
| ▲ストロベリーパークにある「イマジン」と描かれたローマから贈られたモザイク | |
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次回へつづく |
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写真撮影:すべて小林恵
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